私たちは学生最後に就活というものをこなし、とにかく働かせてくれる場所を探します。
特に日本では年功序列賃金・終身雇用が長年の慣習になってますので、就職すれば定年まで働くことが暗黙の了解となっています。
しかし、この考え方は人生の選択肢を大きく狭めているのではないかと私は思います。
働き続けることは義務なのか
ブラック企業という言葉が使われて久しく、昨今ではようやく長時間労働の改善が一般的に意識され始めました。
しかし、転職する・仕事をやめるといった選択をしづらい環境は未だに社会を覆っているように思います。
仕事へのストレスで心身ともにダメージを受けてなお、働き続けなければいけないといった風潮はもはや国民病といってもいいのではないでしょうか。
かつては高度成長時代、働けば働いた分だけ成果が上がった時代であったといいます。その時代の、長時間働いてこそ社会人という美徳を、現代にも当てはめようとするのは無理があります。
私も含め日本の好況期を知らない世代が社会人となってきており、重視されるものがプライベートへと変化しているのです。
そんな中、転職や退職を逃げと考えるのは自分の首を絞めているだけです。仕事はプライベートを充実させるための一つの手段であり、仕事がすべてではありません。
働くためには励みになるものが必要
とはいえ労働のすべてを否定するわけではありません。大事なのはバランスであり、社会にはびこる労働偏重の考え方に疑問を感じているのです。
ふと社会人になってからの自分を振り返ると、週5,6日働き日曜祝日もたまに出勤。盆と年末年始も3連休より多くとれたことはありませんでした。この生活を定年まで続けることを考えるとゾッとします。
基本的に分割での休みであり、溜まった疲れをとるだけの休日になることもあります。そればかりか翌日の仕事の勉強をする必要もあります。これでは気が休まる時間もありません。
私のようにふと旅行したいと思うような人には連休は必須であり、仕事の励みにもなるものなのですが、たった3日の連休をとるだけで何度注意されたかわかりません。
このようにただ漫然と毎日働いているようでは効率も悪くなってきますし、仕事とプライベートのメリハリが大切なのではないでしょうか。
長い人生、気を抜くことも必要
ここまでいろいろ書いてきましたが、長い人生、疲れたてしまったら休んでもいいでしょと言いたかったのです。
仕事のほかにもやりたいことがあったり、別のものにも興味が出てくることは自然なことです。そんなときに今の仕事が足枷になっていては人生を十分に楽しめません。
天職と呼ばれるものを見つけるためにも、もう少し働くことに関して柔軟にとらえてもいいのではないでしょうか。
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